この数日悔やまれてならないのは
息巻いて友達まで連れて行ったうどん屋の
肉うどんがひたすら甘かったこと。
約10年ぶりなので楽しみでならなかったのに
ひとつも笑えなかったのはたまったもんじゃぁない。
喉にへばりついた甘ったるさと
あのなんとも言えぬ心持ちは
まだいっとき尾を引きそうだ。
肉うどんが好きだと言っていた自分にすら疑問を感じてしまう程のダメージだった。
注文をとりにきてくれた女の子の
理解に苦しむやりとりを含め
今思いだしても笑えない。
よく家族と行っていた幼少期の思い出いっぱいのうどん屋に、新たな思い出が刻まれてしまったのです。
ズーン。
◆◆◆
本を作りたい。
以前から興味はあるけど、なかなか手足が動かない。
今までも何度かトライしようとしたことはあるけど、作り始め一歩手前程度のところでリタイヤし続けてる。
もう一歩突っ込むガッツが湧く前に気持ちがそっぽを向いてしまう。
1言って1やるのは凄いと思うけど
100言って5か6くらいでもやれたらいい
時間が流れていく中で
10言って10やる人もいれば
1000言って50も60もやる人もいるわけで
僕は後者の気持ちで半生を過ごしているので、トライしてうまくいかなくても、またトライしたくなればすればいいくらいに物事を構えてる。
その分、1つでも多く何かに首を突っ込みたい、1つでも多く経験したい、1つでも多く試してみたいという気持ちは今も変わらず強く持ってる。
何かやれた気もするし、何もやれてないとも常に思ってる。
失敗に対する危機感や恐怖心が弱く、成功までの高みに到達したことがない。
(若しくは失敗に対する危機感や恐怖心が強すぎるのかもしれない)
結局、浅く広くという現状に陥っている。
という風に頭では思っていても、また「◯◯したい」を最優先させてしまうのです。
実力が無ければ、勢いでカバーできる歳でも無くなってしまっているのでしょうが、どうなんでしょうね。
それでもやはり、自分の目で見て、体で感じて、経験してから、考える。
それが一番だと思います。
そしたら、どれだけ間違っても、何一つ間違わないんじゃないでしょうか。
死ぬまでに1000言って、1つもできなかったら、恐ろしいではありますが。
「成功」とか「達成」、「完成」、「作品」、どうなったら「OK」か、とかを、「イメージ」したり「設定」したりすることは大事なこと。
個人ではなく複数人の場合は認識を共有したり、その目的に対する状況を把握したり、不定的にでも「到達点」を「設定」すること、それによってまた個人にもすべきことがより具象化してくるということ。
甘え続けても何にもアウトプットできるはずがないんでシ。
ケツを叩かれようが叩かれまいが、進んだあなたは凄いのです。
進んだからこそできた道だから、
振り返ることもできるわけで、
進むこともできるんですね。
進んでる人と会うと、胸が逸り、負けじと思いが募ります。
アシタモガンバロウ♪
どんな本を目指すかまだわかんないけど、まずはZINE作りから、コツコツ始めよう。
(と、また1つ言ってみる)
それでは、コンシュも、おつかれサマービーチ。



















