日本のメロコアは階段だから、踊り場とかでかい絵画とかがあったほうが良く聴こえる。
洋モノはエスカレーターだから、もっとコンパクトでエッジの効いた広告のほうがしっくりくる。
という個人的な解釈。
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手軽に様々な音楽が手に入るようになったけど、そういった「手軽に手に入る音楽」でも聴くまでにそれなりの何らかのプロセスがかかれば、そのプロセスを含めひとつのパッケージとして成り立つ様に思う。
カタチが無くなっていく一方で、プロセスをひとつのパッケージの範疇に扱うのも至極自然な流れだと思う。
無関心・無意識(の状態下で)のオペレーションも含め、その誘導へアイデアやクリエイティビティを注ぐ面白味が果たす役割も今後飛躍的に大きくなってきそうだ。
時代は常に「最新」の影を追うので、生きている限り(そして死んでも)「最新」を追い抜く事はできないが、生きているという事はそれだけで常に「最新」だ(だから死んだら「最新」じゃなくなる)。
そして一方行に増加の一途を辿る蓄積に足を取られるうちはまだいいが、呑み込まれたら終わり。
一緒の感覚として思う事がある。
街に慣れる事は大切だ。
街と生きる事も大いに素敵な事だと思う。
ただ、
街に馴れ合ったり、
街に隠れたり、
街に呑み込まれるのはとても怖い。
甘えたり拒絶したりはまだ許容のうちなんじゃないかな。
自分の中のどこでラインを張るかという事は常に緊張感と細心の注意を持って確認し続けたいものです。
行き詰まったり煮えたぎったりしてしまって、ドツボの良くないサイクルに陥ってしまう時、そんなギリギリの時に果たして音楽は人に入ってくるのか。
それとも若干の余裕や、心のゆとりの部分に入ってくるのか。
これについてはまだ何とも答えを出しづらいところではありますが、どちらにしろ音楽がもたらす「何か」は一個人にとって、とてつもなく大きなものになる可能性は満ち溢れていますから。
大切にしたいものを守れるだけの力が欲しいと切望する毎日です。
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明日はFUKU THE RIGHT HEREとお酒が飲めるので、非常に楽しみでなりません。
確実な楽しみの前日は、何事に対しても気が楽になるので人間って不思議なものです。
モモアンでソバ食って酒飲んで、夜を始める手筈です♪
そんなサーズデーナイトっ。
とにかく、きっかけは自分でつくるもの。
それだけは間違いない。
それでは、遠からず近からず、イタチごっこは続くよどこまでも。
明日もガンバリマショー☆


