詩人は何を謳うのか

だらだらと久々に長いよ♪

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これはやたらと難しいテーマであって、おいそれ簡単に答えがでるようなものではない。
このテーマに対しての考察や見解は、論者の状況により常に変化するものだし、変化して然るべきであると考える。

ただ、その都度での結論なり発見なりは残しておいても悪いものではない。
その上での展開が発展していけばいいのであって、時点での是が非かを問うものでもない。

詩人は何を謳うのか

宮廷詩人や吟遊詩人の活動が旺盛だった頃とは違い、社会背景も激動しているわけでもなく、多くの人々に共通した強い喜びや悲しみがあるわけではない。
職業詩人と言っても、現在その括りに当てはまる人は指折り数えられるくらいで、極端なところでは現代詩人はみんな本職サラリーマンなどと言われている。

今現在を生きる詩人が謳うべき詩もあるだろうし、今現在を生きる詩人にしか謳えない詩もあるだろう。今現在だからこその詩も。

詩と言って、今現在私たちが連想できるような詩や詩人の名前のほとんどは、洋邦問わずに社会の黎明期から成熟期への過渡期に生きた方々のものばかりだと思う。もしくは牧歌的なものであったり、伝承や童謡などの土着の文化に基づいたものだろう。

共通感情が希薄になっている現代に於いて、詩人は何を謳うのか。何を謳う詩人の言葉に強い力が宿るのか。

これを追いかけるには、書き続けることにしか手段が無い。現在を生きる詩人が何を謳っていたのを知るのは、3、40年後になって一世代が一括りにされて、はじめて解りやすく表現されるのだろう。もっと先の話かもしれない。

今世界中で何が起きているかは、森の中の一本の木にとっては到底知り得ない。今その自分自身の身の回りで起きている事が全てで、今居る自分の場所から精一杯見渡せる限りの範囲が世界だ。

その中で生まれてくる言葉を謳う。より素敵に象徴的に。言葉の羅列に感情を純化させた結晶を飾り付けていく。それはどんな造形よりも美しく、優しく、強く、迫力のあるものに成り得る。

詩人が謳うのは、生命であるという事は、古今東西一貫して共通している事ではないだろうか。

詩という形式の多様性と可能性が時間と比例して広がっていくように思えるのは、受け手が成長と共に変化していく事と深く連結している。

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今朝の通勤時の電車の中で、隣に10代後半であろう男の子が立っていた。混み合っている車内でヘッドホンから漏れる音は爆音。しかもハイスタのKISS ME AGAIN。

きっとテンションが上がっていたのは間違いなく僕だけで、周りの人たちはあからさまに鬱陶しそうだった。しかも曲の途中でスキップしていきなり曲変えたりしやがるので、余計うざかったことでしょう。

KISS ME AGAINでかなりキタけど、GROWING UPが流れた時とかカバン放り投げて短パンはいてどっかに飛んで行きたくなりました。いい朝や。

僕は通勤で二回路線を乗り換えるんですが、そのハイスタ路線の次の千代田線に乗り換えてから、もう何度も読んでいる中原中也詩集(ハルキ文庫)を読んでいてふと思ったわけです。

中原中也は何を謳っているのか、と。

長らく中原中也の詩を読み続けてますが、はじめてそんな疑問を抱いたわけです。ひとつ疑問が生まれると、芋づる式に疑問がでてくる。

では今まで僕は何を思って詩を読んでいたの?詩単体の字面?リズム?中原中也を?中原中也の何を知ってるって、別に何を知ってるわけでもなしに?人は何を思って詩を読むの?書くの?詩人は何を思って詩を書くの?僕は詩を読んで何を思っているの?詩人は何を謳っているの?######%%%%。。。と。

そんな問答に終始してました。

「歌」や「曲」は聴き手にとって特定のリズムやテンポがありますが、読むリズムやテンポが読み手に書き手の意思とは関係なく委ねられる「詩」。
ある程度の構成の枠という点では共通する部分もあるが、特定のリズムやテンポに乗っている「歌詞」と「詩」は別物。

やはりその点では「詩」のほうが言葉の強度や純度がシビアに求められます。
一方「歌詞」は曲とともにあることで、伝わりやすさや訴求力が高いので、受け入れられ易さも違ってきます。

曲を届けるアーティストは、そのヴィジュアル面やプロモーションの展開によっても作品の評価が左右されます。
詩人に於いては、その詩人の人生がクローズアップされる事は評価を受けての後にあったとしても、ビジュアル等で評価が左右されるわけではなく、純粋に著作品に対しての善し悪しが先行されます。

そして、「詩」と「歌詞」にはそれぞれに鑑賞の形態の違いが大きい。
視覚から情報が入ってくる「詩」と、聴覚を伴い入ってくる「歌詞」。

活字の先に生々しさと、ともすればおどろおどろしい様な迫力を感じられるのは圧倒的に「詩」が多いのではないでしょうか。喜びや悲しみ、死や生を謳っているものが多いからでしょうか。
逆に「歌詞」には希望や切なさなさなどを謳い、伝わり易い言葉で高揚感や一体感を抱く事ができ、華々しさや活力、ほのぼのした感情になれるような力があると思います。

日常の事や恋愛、情景的な事を謳うのは両者共通している点ではありますが、やはり「詩」と「歌詞」では汲み取る感情や向かう意志の部分で差異があるんだろうな。
もっと根本の部分では似通っているんだろうけど。

まぁそんなこんなを思った次第でありました。

以下のリンクページはふむふむと思ったんで、興味がある方は覗いてみてください。

村上龍氏の職業紹介:13歳のハローワーク公式サイト「詩人」

ほぼ日刊イトイ新聞:売る言葉に買う言葉(全4回)「第1回『詩人』『歌人』は職業か」
 [補足]詩人・谷川俊太郎×歌人、雑誌ライター・枡野浩一×コピーライター・糸井重里(婦人公論1999年6月22日号からの転載記事)

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こないだの記事にチラっと書いた小学生の算数の問題ですが、答えは?との事なので書いときます。

【問題】
72人の子供がA、B2つの宿に分かれて泊まります。
問1)Aの宿の人数をBの宿の3.5倍にした時のそれぞれの宿に泊まる人数は?
問2)Aの宿の人数をBの宿の2倍より15人多くした時のそれぞれの宿に泊まる人数は?

【回答】
問1)
Aの宿の人数をX、Bの宿の人数をYとすると、
X+Y=72…(1)
X=3.5Y…(2)

(2)を(1)に
3.5Y+Y=72
4.5Y=72
Y=16

Y=16を(2)に
X=3.5×16
=56

Aの宿の人数は56人
Bの宿の人数は16人

問2)
Aの宿の人数をX、Bの宿の人数をYとすると、
X+Y=72…(1)
X=2Y+15…(2)

(2)を(1)に
2Y+15+Y=72
3Y=57
Y=19

Y=19を(1)に
X=2×19+15
=53

Aの宿の人数は53人
Bの宿の人数は19人

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はい。

二月は頭ですが、今週も無事に末を迎えました。
今月はかなりいい感じで滑り出してるので、このまま調子に乗りたいと思います♪

それでは、明日もそのまた明日も、蒸気機関車ばりに頭をプシュプシュいわせながら、適度に体にも油をさしてあげましょう!
おつかれさまでございました☆

▼レターヘッドにフラカンの「元気ですか」の歌詞一部